ミュージックセラピーグループハーモニーでは、毎年、活動する仲間を募って、ミュージックセラピスト養成講座を開講しています。
養成講座は今回が15期目。3回の講座と1度の体験実習を通じて、音楽を通じた人とのふれあいを学んでいきます。
初日の1月22日は、ハーモニー代表とTCC事務局長の挨拶のあと、これまでの活動を紹介するDVDを鑑賞。続いて講師陣がセラピスト、受講生が参加者役となって、実際にセッションを体験するところから始まりました。
初対面の受講者同士でいくぶん固かった場の空気が、いざセッションが始まると、すぐに暖かくほぐれていく様子は、見ていてさすがと感じ入りました。
(福田和昭・都市生活コミュニティセンター事務局長)
1.17手づくり市民追悼のつどい 1月17日 諏訪山公園・神戸市勤労会館
阪神・淡路大震災の後、ポートアイランド第三仮設住宅で、ふれあい喫茶「すまいる」の活動が始まりました。仮設住宅が解消した後も、すまいるのメンバーは当時の仮設の世話役の方々との交流があり、彼らが主催する追悼のつどいに参加しています。<hr /> 1月17日、あの未曾有の阪神淡路大震災から丸17年を迎えました。17年経ってもまだ遺族の方は癒されてはいません。20年で出なければならないとされる借り上げ住宅問題が17年経って出て来ています。直面させられている高齢被災者の方々は毎日不安な日々を暮らしているのです。
昨年の3月11日にあれ程の大震災と思っていた阪神・淡路大震災以上の大災害が起こり、マグニチュード9の大地震、その後の大津波で本当に多くの方々が犠牲になってしまいました。そして人災ではないかと思われる、決して起きてはならない原発事故も起こってしまいました。
私たち阪神・淡路大震災被災地の人は東北の被災者の方たちを自分の事のように感じ、心を痛め、想いを馳せ、涙を流し、出来る事は何か、一人ひとり自分に問いかけながら出来る事をしてきました。私たちが一番しなければならない事は決して忘れない事です。この私たち阪神淡路の被災者の事も、東日本の被災者の事も。そして決して忘れてはならない事は原発事故で汚染され続け放射能で苦しんでいる福島の事を。
私事ですが私の故郷は福島で、私は故郷を原発で壊されたと思っています。子どもや若い人は住んではいけないとも思っています。子どもを想って放射能被爆の事で日々苦しんでいるお母さんたちを何とか救っていかなければ子ども達の未来は暗いものになってしまいます。追悼は阪神と東日本の犠牲者に向けて執り行われました。どちらの遺族の方々も少しづつ、一歩づつでも気持ちが前に進める事が出来るよう心からお祈りをし、これから私たちがしなければならない事をしっかりと心に刻んで17年目の追悼のつどいを終えました。
(岡部眞紀子・ふれあい喫茶すまいる代表)
「原発をやめられない社会」をやめることができるか 1月8・9日 関西学院大災害復興研究所・日本災害復興学会合同フォーラム
1・17(阪神・淡路大震災発生の日)がやって来ました。例年、関西学院大の災害復興研究所と日本災害復興学会は1・17の直前に合同でフォーラムを開きます。しかし今年のフォーラム(1月8・9日)はいつになく緊迫していました。
テーマはズバリ「フクシマ再生・よみがえれ東北」。9日に西宮の関学大で開催されたまとめのフォーラムでは社会学者の宮台真司さん(首都大学東京)が注目の基調講演を行いました。
宮台さんは聴衆を挑発するかのように刺激的なフレーズを連発します。例えば虐待について。地域の問題なのにひとは行政を批判するだけ。あるいは見せ掛けのスローフード。食の生産と消費の問題を解決しないで良い物だけ市場(しじょう)で買えばよいという態度。要するに、私たちは地域の問題を自分たちで解決できず、行政と市場に丸投げし、結果として毎年3万人以上も自殺者を出すという不幸な社会に住んでいる。エネルギー問題もおなじことだ、だから今のままでは原発はやめられない、と宮台さん。
では不幸な社会を変えるにはどうすればいいのでしょうか? 宮台さんは、ちょっと難しい言葉ですが「非行政的な公共性」に向かえと呼びかけます。同じことですが、共同体自治を実現せよと提案します。これもまだ抽象的でわかりにくい。具体的にどうやったら共同体自治が実現するのでしょう? ここでも彼は挑発的です。「良い事をすればもうかる社会」をつくれ、企業もNPOもソーシャルビジネスも社会貢献を「事業」で競い合えと訴えるのです。そして原発は民主主義と共同体自治になじまないと断定し、みずからも関わる「世田谷電力」設立の構想とそれを金融的に支援する城南信用金庫の実例を示唆して講演を終えました。
宮台さんの基調講演の紹介だけで字数が尽きました。続いて行われたシンポジウムにもいろいろ紹介したい内容が盛りだくさんだったのに残念です。世田谷電力構想に刺激されて「阪神市民電力会社」などということばが脳裏をよぎりました。これについてはまたの機会に。
(池田啓一・都市生活コミュニティセンター理事)
2012年1月17日、阪神・淡路大震災の発生から17年を迎えました。昨年は東日本大震災が発生し、防災や減災、コミュニティづくりといった阪神・淡路以来の課題にどう向き合ってきたか、改めて問われる一年になりました。震災を検証するフォーラムと震災追悼のつどいのレポートを掲載します。
TCC理事長を団長とした生活クラブ都市生活とエスコープ大阪の理事ら5名のメンバーで、年末に福島県と山形県米沢市を訪問しました。目的は生活クラブふくしま(以下、福島単協)を通じた被災地支援の今後の方向性を探るためですが、福島単協の行っている仮設住宅支援・青空市のお手伝いと2/11〜13に予定している「東北応援ツアー」の下見も兼ねた日程です。被災地に有って懸命に支援活動を継続している福島単協に対し、生活クラブ都市生活・エスコープ大阪・TCCとの協同で応援を行っています。
新地町にある仮設住宅で福島単協が定期開催している青空市への応援もその一つです。これまで青空市へは愛農会の玉ねぎや豊共園のみかんなどを販売物資として提供してきました。それらは皆さんからの支援カンパを原資として調達していますが、ふたつの生協なじみの消費材は遠く離れた新地町の仮設住宅でも大好評とのことです。
◆福島単協理事との懇談
さて、3日間の訪問内容を簡単にご報告します。初日は福島単協の理事会の皆さんとの懇談です。県外へ避難される人も多い中、その土地に留まり暮らしている組合員から放射能汚染についての話しが途切れることは有りません。胸がしめつけられるような思いの私たちにとって、「除染など有り得ない。移染でしかない。」という言葉は今も頭から離れません。
◆新地町仮設・青空市訪問
2日目は青空市のお手伝いです。福島県の沿岸部の最北、宮城県にほど近い漁業と農業が盛んな新地町を地震と津波が襲いました。組合員も暮らすその仮設住宅の青空市は、組合員自ら販売スタッフとなって運営しておりとても盛況でした。販売品目は住民の要望から野菜中心の品ぞろえです。
買い物に来られた方を集会所にお誘いして、訪問メンバーが持参した珈琲やお菓子を召し上がっていただきました。「関西からお手伝いにやってきました。」との自己紹介をきっかけに歓談が始まり、2つの生協の組合員から寄せられたメッセージカードをお渡ししました。とはいえ、青空市や喫茶コーナーに集まる方のほとんどが高齢の女性ばかりという状況を目の当たりにした時、16年前と変わらぬその光景に神戸の仮設住宅にたたずんでいるかのような幻想さえ覚えました。
しかしそれもつかの間、すぐに現実へと引き戻され暗澹たる気持ちになりました。高台に建ち容赦なく寒風が吹きつける仮設住宅の周辺は荒涼たる野山が広がるばかり。スーパーマーケットなどの生活施設は見当たりません。もとより市街地自体が壊滅しているのです。復興が急ピッチで進む都市部やその周辺に建設された神戸の仮設住宅の様子とはまったく違いました。
◆米沢・県外避難者支援
3日目は山形県米沢市へと移動。米沢市は生活クラブやまがたの本拠地でありTCCの監事をされている井上肇さん(生活クラブやまがた・前理事長)の地元です。組合員や生協関係者は福島県から避難されてきた方々への支援を継続しており、現在は生活支援企画として毎月1回「10円バザー」を行っています。また、避難者の集う場として茶話会は毎週開催しています。「10円バザー」は避難生活を余儀なくされている方のほとんどが生活の再建段階に至っておらず、今もって救援状態に有るとの判断から、お米や野菜、防寒着・毛布・炬燵布団などを廉価で販売しているのです。茶話会は毎回40名前後の方で賑わい、お茶やお菓子を給仕するスタッフの手が回らない分は参加者自らお手伝いをするなど和気あいあいの状況とのこと。
最後は、「東北応援ツアー」のメニューに組まれている雪灯篭祭りの会場(米沢市・上杉神社とその周辺)の視察です。雪で造られたたくさんの灯篭に明かりが灯る幻想的な風景を想い浮かべながら、駆け足の日程をようやく終えたのでした。
(都市生活コミュニティセンター・小松高志)